プカプカおさかな委員会

たかとけいたが日記やらなんやらを載せる場所です。おさかなも委員会も関係ありません。

【日記】思考三連

2024年2月10日(825日目/1443日目)

思考三連

 

 

有益なムダ

 3連休だ~! 大事に過ごさないとね……。気を抜くとあっという間に終わってしまうから。でも再来週にもまたすぐ3連休あるんだよな……。そう考えると、まぁムダにしてもいいのかもしれない。ホントはダメだよ? 直近に別の連休があったとしても、大事に過ごすべき。全ての連休に対して真摯に向き合う必要がある。でもそれを理解したうえで、敢えてムダに連休を消費するのもアリなのかも。それも一つの経験ではあるから。連休をムダにしないとできない発見があるかもしれない。

 

 これは連休に限った話ではない。全てのものって、基本的には大事にすべきなんですよ。でもこの考えが浸透していった結果、「ムダにする」という行為があまりにも行われなくなっている。もちろんムダにすることによって人に迷惑をかけるのであればそれはするべきではないけど、そうでないならしようがしまいが自分の勝手じゃないですか。要は自分がそのムダを受け入れられるかどうかの話なだけなわけで。こうなったときに、ムダにする選択肢を選ぶ勇気も重要だと思うんですよ。みんなあまりにもムダを恐れすぎている。

 

 ムダにした結果、マイナスな結果が得られたのであればそれも一つの収穫だと思うんですよ。ただムダにすることを避け続けていると、その選択肢の先にあるものがホントにマイナスなのかどうかが確かめようがなくなる。あくまで推測の域を出ないんです。ムダにすることで得られる発見と、ムダにする選択をした勇気を手に入れる必要があると思う。全力でムダに振り切る日があってもいいじゃないですか。ムダの道を歩くことは、決してムダではないと思います。

 

 

損を見せる

 「買う」という行為、あまりにも受け入れられすぎている。これってスゴいことじゃないですか? 何かを買うことって、金銭的な損をする行為じゃないですか。もちろんそれによって何かを手にするわけで、直接的な損にはつながらないとは思う。ただ金銭的には損をしているじゃないですか。自分のお金が減ってるわけだから。それが社会に受け入れられてるのがスゴいと思う。もちろんぼくだって何かを買うことはあるし、それ自体に反対しているわけではない。むしろ社会における一つの完成形だとは思っています。ただそれはそれとして、この行為のスゴさにみんなが気付いているのかが気になる。

 

 SNSとかでも「今日○○買った~」とか「これ欲しい!」とかよく見るじゃん。でもそれって同時に「私は金銭的な損につながる行為をしようと思っています」って宣言しているのと同じじゃないですか。ここが不思議なんだよな。この「買う」という行為と、「持ち金が減る」という状況がイコールで結びついていない人が多い気がする。もちろん欲しいものがあるなら買うべきだと思うし、それが損だとは思わない。ここで言ってるのはあくまで金銭的な部分の話だから。でもその宣言を高らかにしているのを見ると、不思議な感覚になるんだよな。

 

 ゴメンな、これ上手く言語化できないわ。誰かを非難しているわけではないです。ぼくも何か買ったときにSNSに載せたりはするし、なんなら割とお金を使っている様子を載せている方だとは思う。でもこの「買う」という行為にどこか罪悪感というか、後ろめたさを感じる部分もあるとは思うんだよな。恥ずかしさともまた違うけど、公共の場でオープンにするようなことではないように感じるときもある。これってなんなんだろうな。ぼくにも分からないけど、金銭の授受に何か特別な印象を感じます。

 

 

「浮かぶ」と「下りる」

 今日の日記、あまりにも思想的すぎるな……。読んでる人は退屈だと思うけど、書いてて面白いのはこういう日記なんだよな。自分の頭の中にある、まとまり切っていないものをアウトプットして整理できるのは楽しい。にしても今日は思考が活発だが。ずっと家にいて外からの刺激もあまりなかったのに、急にどうしたんですかね……? 意外と家にいるときの方がいろいろ出てくるタイプなのかも。両方いるじゃないですか。外で散歩とかしてるときにいろいろ浮かんでくる人と、一人でボーっと過ごしてるときに下りてくるひと。

 

 この「浮かんでくる」と「下りてくる」って表現、面白いな。意味するところはだいたい一緒なのに、方向が真逆なのはどうして? 「浮かんでくる」は下から上で、「下りてくる」は上から下。何が違うんだろうな。意味合いとしては同じなのに、方向が真逆なのか……。不思議だな。こういう言葉、調べればもっとあるのかな。あと日はもうとっくに誰かがこの内容で論文とかを書いている気もする。ぼくも言語学かじったことがあるから分かるぞ。こういう面白い内容は、既に誰かが調べてくれてるはず。

 

 方向じゃない? 上と下の話じゃないかも。上と下じゃなくて、内と外だわ。「浮かぶ」は自分の奥底から出てくるイメージ。だからあくまで自分の中だけでの出来事だわな。それに対して「下りる」は外から中への行為だわ。外界からのインプットを指している気がする。だから意味するところは微妙に違うのかもしれない。「浮かぶ」は自力というか、自分一人だけで完結する行為。「下りる」は外からのインプットなので、自分以外のものが存在しないと成立しない。この違いがあるかも。どうだ? これが正解な気がするな。

 

 じゃあ「浮かぶ」の方が天才っぽくてカッコいいからそっち使おうかな。