プカプカおさかな委員会

たかとけいたが日記やらなんやらを載せる場所です。おさかなも委員会も関係ありません。

【日記】フィーリング

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2022年2月7日(92日目/711日目)

フィーリング

 

 

怠惰の正当化

 お休みデー。今日は結構忙しい日だったかもしれない。何かとやることがたまってたので全力で消化した。やっぱりやらなきゃいけないことって取り掛かるまでが異常にメンドくさくて、やってみたら意外とそうでもないのよね。なんなんだろうなアレ。恐らく過去のメンドくさかった経験の亡霊が取りついているのかもしれない。

 

 ただ実際に取り掛かるまでは消費する体力の量なんか分かるわけもないので、今までの経験則から推察することしかできない。でも「やってみたら思ってたより大変じゃなかった」って経験がここに反映されることはなかなかないのよな。やはり負のイメージの方が記憶に残りやすいのかもしれないね。そしてぼくたちは一生そこに囚われ続けてしまう。

 

 そう考えるとタスクをすぐ消化するタイプの人はある意味で無鉄砲と表現することもできるのかもしれない。自分の経験を当てはめることをしない人ってことか……。いやでもそもそもその経験をしていないって可能性もあるな。ということは世界にはタスクをため込んだ経験をせずに生き続けていく人がいるってことか? でもぼくたちはソイツを”人間”としていいのだろうか……。少なくとも同じ世界に住まう人間ではないのかもな。

 

 

ボーダーライン

 買いたい本がある。買いたい本があるがこの前買ったのをまだ読み終わってないんだよな~。自分の中で何となく「読んでない本があるうちに次の本を買ってはいけない」というルールがある。一切の根拠は無いけどなんか気持ち悪い感じがしちゃうんだよな。こういう”感覚”のせいで行動が制限されている認識はあるけど、無視するとなんか良くない気がする。一種の信仰でもあるのかもしれない。

 

 大なり小なりこういうのは全員が持っているものだと思う。「横断歩道の白線を踏んだ数を左右の足で揃える」とか、「週に1回だけスイーツを買って帰る」とか、そういう日常の中のルールがあるはず。これってどこから生まれるものなんだ? ぼくは別に読んでない本があるのに新しい本を買って痛い目を見た経験なんか一個もないのに。こういう感覚の部分が”慣習”とか”マナー”とか色々な形に分岐していくのだろうか。

 

 こういう自分の中の感覚をぶち破って成功体験を得ることも必要なのかもしれない。今のぼくが本を買うことで「な~んだなんにもないじゃん!」って経験を積むことでこのルールを撤廃することもできるはず。でもこのルールは悪なのか? 根拠は無いが理由が無いかと言われるとそれはまた別問題な気がする。もっと自分のことを信じてもいいのかもしれない。自分の「なんとなく」のラインはいわば本能でもあるので、ここをないがしろにすることは気持ちが悪い。ただこれもまた根拠の無いルールではある。

 

 

反省×3

 マジメな話を2連続でしてしまった。そもそもマジメな話しちゃダメか? ここはぼくの日記だぞ。ぼくが書きたいこと書いて何が悪いんだ! まぁ別に誰も「マジメな話をするな」とは言ってないんだけどね。これもアレか、「日記でマジメな話をしてはいけない」っていうぼくの中での感覚的なルールか……。なんなんだろうなこれ、なんでマジメな話をしちゃいけないと思ってんのかな。そもそも「マジメな話をしない」というルールに対してはめちゃめちゃマジメな姿勢じゃねぇか。どうなってんだ。

 

 むしろガッチガチにマジメな日記を書き続けるのもそれはそれで面白いかもしれない。恐らく普段みんなが触れているたかとけいたはマジメじゃない場面がほとんどだと思うので、むしろマジメな方が新鮮なのかもしれないな。でも別にウケたくて書いているわけでもないから、そこまですり寄らなくてもいいか……。まぁ「ウケたくない」まで言っちゃうと嘘かもしれないな……。

 

 そもそもこの日記って何のために書いてるんだ……? 最初はバイト先が休業になって「暇だしみんなもぼくに会えなくて可哀相だしな……」って始めたので、スタート位置はかなり読者に傾いてたのかもしれない。冗談だと思ってる? マジでみんなに同情してたからな、ぼく。なのに今や「すり寄るのは……」とかぬかしてんのか。原点に戻れ原点に。初心忘るべからずだぞ。

 

 それで〆るかぁ……。