プカプカおさかな委員会

たかとけいたが日記やらなんやらを載せる場所です。おさかなも委員会も関係ありません。

【日記】解釈と矢印

2023年6月3日(573日目/1191日目)

解釈と矢印

 

 

油断するな

 髪を切ったヨ〜。髪型をちょっぴり変えた。ホントにちょっぴりだけな。でも傍から見たら結構変わってるかも。髪型は変えてはいないんだけど、短くはしているので。髪って短くするだけでだいぶ印象変わってくるじゃないですか。そういうのはあるかもしれない。短くはしました。当たり前だよな? 髪を切りに行ってるんだから。髪切りに行って短くならないことってあんまりないからな。ないこたないけど。でもその場合って「髪を切りに行く」って表現するの? するかもしれないけど、文字通りではないよな。

 

 そんで髪を切りに行ってから新宿まで歩きました。いつものコースだよな。映画を観に行くので、いつも通り新宿まで歩いた。髪を切り終わった頃にはもう雨も上がっていたのでね。傘、邪魔だったな……。こんなに早く雨が止むんであれば折り畳み傘で済ませたのに……。お昼までは降るって話だったじゃんか。だから大きい傘持ってきたのに。髪切りに行くとこまでしか使わないのであれば折り畳み傘で十分だった。先に言え。天気予報を守れよ。吐いた唾飲み込むなよ。

 

 傘、忘れそ〜! 出かけてる途中で雨が止んだ日って、傘忘れがちじゃないですか? これはぼくとかそういう個人レベルじゃなく、社会としてのあるあるだよな。電車とか乗ってても「傘のお忘れ物が多くなっております」みたいなアナウンスってよく聞くじゃん。そういうことよ。だから今日のぼくは気を抜けない。バイト先のロッカーに何度も傘を置いて帰った実績があるので、今日のぼくは気を抜いちゃいけない。目が離せないね。常に傘の存在を意識しないと。

 

 

ブレる

 映画観ました。『TAR/ター』を観た。ようやっと観たよ。ずっと観たかったんだけど、なかなかタイミングが合わなかった。尺が長いからね。3時間くらいあるから、ちょっとしたスキマ時間では観られないんです。「よっこいしょ」ってしないと観に行けない。だから今日をその日にしました。公開されてからちょっと経ってたから上映回数もかなり減ってて、今日を逃したらもう観られなかったかもしれない。今日がラストチャンスだった可能性がある。滑り込みでした。

 

 賛否が分かれてるのは知ってた。そんで実際観たらその理由も分かった。ちなみにぼくはあんまりノれませんでした。やりたいこともあんまり分かんなかったかも。見えてはいる。駄作とかそういうことではないのは分かっている。「この作品が好きな人もいるんだろうな」とは分かりつつ、ぼくにはハマりませんでした。『ROMA/ローマ』を観たときと同じような感情かも。家帰ってからパンフレット読んで理解を深めようと思います。

 

 ただ一つ言いたいのは、理解できるから偉いとかそういうことではないと思う。ぼくが理解できなかったからとかではなくな。最近の映画批評って「難解な作品にハマる方が偉い」みたいな風潮があるけど、決してそんなことはない。良くも悪くも映画は娯楽なので、観た人が感じたものが全てだと思うわ。解釈にはルールはなく、人それぞれの理解があっていいと思う。そんでそこに優劣はない。賞を獲ったから良い作品とかではなく、あくまで個人の中での判断を優先すべき。

 

 

どっち向く

 今日の2本目は『怪物』でした。今日は2本だけね。邦画観たの久々かも。『恋のいばら』以来? そんな空いてんのかな。とても良かったです。面白かった。腑に落ちない部分もあるけど、そんなん日常茶飯事なので……。ぼくはフィクションをフィクションとして飲み込めないタイプなんですよ。現実に落とし込んでしまうので引っかかる部分がある出てくることも多々ある。それがいわゆる「リアル」みたいな部分に通じてくるのかもしれないけど、この作品はそこが怖い。シャレにならない感じがめちゃめちゃする。エンドロールの後、とんでもないことになるだろ。

 

 公開中の作品なのであんまりネタバレみたいなことはしないように話すけど、ぼくはテーマが結構好きだった。分かるよ。日常を生きることの攻撃性ってあると思う。人間って無意識に人を傷つけることなんかしょっちゅうあると思うんですよ。それを「無意識だから許せ」って言ってるわけではない。この攻撃性の矢印が想像していなかった方向に向くことがある。360°どこを向いたっておかしくない。「それが人生さ」の一言で片付けてしまえばそれまでなんだけど、このことを意識して生きる必要がある。強い言い方をしてしまえば、生きているだけで誰かを傷つける可能性があるわけで。

 

 もちろん多少のコントロールはできるかもね。この攻撃性を意識するかどうかで変わってくるとは思う。でもゼロにすることは絶対にできないと思うよ。背負って生きていくしかない。社会に生きる全員がこの無意識の攻撃性を持っていることが、いわゆる「生きづらさ」って言葉で表現されているんだと思う。要はこれを無くすことは難しいけど、意識して生きることはできるよねって話で。それが今の社会の動き方なわけじゃないですか。もちろん全員が同じ方向を向いているとは思っていないけど、それが表現された作品だったと思います。

 

 伝わってますか?