2021年12月21日(44日目/662日目)
映画の話をしよう
良日付
大学に行った。年内最後の大学だったね。そもそも卒業するまでにももう数えるほどしか行かないけど。卒論が通らなかったら話は変わってくるが。大学、4年間通ったけど一番好きなところは「近くの幼稚園のお散歩コースになってる」ですね。政治的な部分は全然好きじゃないのでお散歩コースに組み込まれてることが1位です。幼稚園に感謝せぃよ。
それはそうと、今日の日付は打ち込んでて気持ちが良かった。気持ちいいね~。3進数か? 2022年の2月22日も楽しみですね。あっ今カレンダー見たらその日予定入ってたので多分予約投稿になると思います。先に宣言しとくね、自分が忘れないためにも。予定がある日の前日に「予約投稿」って予定入れとくか?
なんとか医療が発達して2222年2月22日まで生きられるようにならないかな~。そしたら最高に気持ちいいんだろうな日付入力するの。でもそこまで日記続けなきゃいけないのか。それはちょっとヤだな。あとその歳まで日記書いてたらそれはもはや遺書でもありそうな気がしてきた。
「技術の発達」は罪か
今日は大学終わりに仮面ライダーの映画を観てきた。ここから先、ややネタバレを含むから観る予定のある人は飛ばした方がいいぞ。ぼくは宣言したからな。自己責任で読み進めてくれよここからは。一切の苦情や不満は受け付けません。分かったな。ここまで言ってんだからな。もうこれで不快な思いしてもぼくの責任じゃないからな。行くぞ!
今回の映画、「家族愛」がテーマとして存在する裏で科学というものの在り方が語られていた。これはぼくの個人的な感想なんだけど、映画やドラマ、アニメなどのフィクションにおいて科学(科学者)って悪として描かれることが多い気がする。要は「科学の発達の為ならどんな犠牲も厭わない!」的な。ただ実際に現実世界でそれが行われているかというと、少なくともぼくはあまり目にしたことがないような気がする。
ただこの根底にあるのは戦争や災害において結果的に科学が人間を傷つけてきた歴史があるからなんだと思う。もちろんその不幸をもたらした科学の生みの親が悪意を持ってそれを生み出したかと言われると全てがそうではないと思うし、ノーベルみたいに自分の期待していなかった扱われ方をするなんてことはザラにあったんだと思う。
でもその結果が存在してしまうからこそ科学というものが悪として描かれやすくなっていて、且つ受け入れられやくすなってしまっているのだと思う。今作ではその構造に対するカウンターが描かれていたけど、それと同時に適切な贖罪も描くべきだったんだと思った。まぁただ仮面ライダーの映画にそこをメインで描けって要求するのはまたそれも違うんですけどね。
今後の展望
観た映画の話をするとそれなりにボリュームが出るもんだね。もう1000文字超えてるもん。こりゃいいや。これからは映画を鑑賞するたびにしっかりその感想をここに書き綴っていこうと思います。レビュー投稿アプリの方はサボりがちなのにね。人間そんなもんよ。自分の利益になることは頑張れるんだから。
とりあえず週1くらいで映画観れば日記の内容に困ることもなくなりそうな気がする。家で配信されてる作品観たのはできればあんまり書きたくないかなー。旧作ってのもあるし、あとは配信だと基本的に同じ作品を何回も観ることが多いから特に書くようなこともない気がする。「これで○回目~」とか別に聞きたくないだろ?
どっちかだよな。予定を入れまくるか、センサーを敏感にするか。どっちかしないと一生日記のネタに困るはめになる。一生書き続ける気はないが。センサー鈍ってるわけじゃないんだけどな~。ホントに毎日同じことばっかやってるとセンサーとかの問題じゃなしに書くことなくなってくるのよ。ってことは予定詰めるしかないか~。
とりあえず明日は行くとこあるので、乞うご期待!