プカプカおさかな委員会

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【日記】知らん教科書

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2021年11月30日(23日目/641日目)

知らん教科書

 

 

部屋の掃除をした

 いや~今日も何もしなかった。気持ちいいくらい何もしなかった。やっぱね、人間って「後回しにしたタスクを〆切間近に必死で消化している瞬間」が一番輝いているんでね。命の輝きを感じられるのは〆切前日。

 

 なので今日も一切のタスクに手を付けず、今やらなくてもいいことに専念した。やっぱり日常にも緩急が必要なわけで、そういった無駄があることで”急”が”急”であることができてるんですよ。この世の評価は99.9%が相対評価なので。

 

 「しなくていいこと」の王道の部屋の掃除をしました。しなくていいことではないんだけどね。部屋の掃除って「今じゃねぇだろ」ってタイミングでしかやらないよね。そんで大体その途中で見つかった本とか読んで掃除すら達成できないんだよな。最悪かよ。

 

 

教科書は娯楽

 今日は掃除の途中で教科書を読み始めた。とはいっても大学で専攻してるスペイン語の教科書ではなく、半期しか受けてないような、そこまで興味があるわけでもなかった授業の教科書。

 

 授業を受けてる当時って義務感がかなりあったのよ。卒業とか進級に必要な単位だから仕方なく受講した講義だし、選択肢の中から消去法で選んだ講義がほとんどだったし。だから当時の教科書はどちらかというと「試験対策用の参考書」としての役割が主なものだった気がする。

 

 でもそういう使い方をしていた教科書だからこそ今は良いのよ。興味がなかった講義の教科書が集まってる本棚って、ちっちゃい本屋なんですよ。自分の好みばっかり集まってるわけじゃなくて、出会いの場としての面を与えるんですよ教科書が。

 

 「単位」とか「成績」とかの圧が後ろにかかってなければ興味を持つって場面は決して少なくない気がする。本来興味って義務であるべきではないだろうし、自分のタイミングで見出すものだから当たり前のことではあるけど。

 

 

日の目を見ない者たち

 ただその教科書って内容がほとんど記憶に残っていないからこそ光ってみえるようなものであって、知ってることしか書いてないんだったら改めて読もうと思うことってかなり少なくなる気がする。というか読みたいと思ったとしても、それは未知のものに対する興味ってわけではないしなぁ。

 

 それにも拘わらず、一度も開かれていないのに決して興味を持たれることのない教科書たちがいるよなぁ。特に中学校・高校で出会う副読本よ。彼らは添え物としてしか見られず、それ単体で扱われることはほとんどない悲しい本なのよ。

 

 しかも副読本、先生によっては使わなかったりするだろ。理科のワークに付いてくる副読本の使用率とか調べた方がいいんじゃないのか。CO2とか以前に副読本ロスを解決すべきではないのか。

 

 あと道徳の教科書の副読本に書き込みした記憶もないぞ。道徳の教科書自体どうなんだって気もするが。そんでこの「道徳の教科書の是非をイジる」ってオモロももう擦り切れてきてる気はする。

 

 みんなも部屋にいる教科書、及び副読本を愛してあげてください。そんで手の付けられていない、まっさらな副読本があったら書き込みをしてあげてください。副読本の地縛霊が生まれる前に。