2021年11月20日(13日目/631日目)
よかったね〜
労働からの解放
バイトが終わったーぃ! めちゃめちゃ元気な文章だが実際はヘトヘトです。ツカレチャタヨ……。
ただこの「ツカレチャタヨ……」は肉体的な疲労であって、精神的には「ゲンキマンマンダヨ!!」って状態です。そう言ってた。ぼくの中のちっちゃいたかとけいたが「ゲンキマンマンダヨ!!」って言ってた、さっき。
まぁぼくはメンタルがめちゃめちゃに強いので無敵なんだな。昔誰かに言われたんだが、ぼくは精神の柱がフニャフニャだから折れることなく受け流すらしい。上手いこと言うじゃん。
ただもちろんみんながみんなぼくみたいな精神なわけじゃないので、中には同じお仕事をしててもツラいって人もいるんだろうなぁ。そっちの方が多い気もする。
他者に寛容であれ
話は変わるが、まぁ変わらないっちゃ変わらないけど、「ズルい」って感情、要らんなと思う。
ぼくが人生で1度もそういう感情を抱いたことがないかと言われればそういう訳ではないが、「ズルい」って何かを解決したことって無いような気がするんだ。
この感情って相対的なものだと思うんですよ。自分よりいい思いをしている誰かがいて初めて成立するもんよな。相手がいないとそもそも成り立たない感情じゃん? 且つその相手が自分よりいい思いをしている状況で感じるものだと思うんですけど。
んで、その相手がいい思いをしている状況に嫉妬することはないようにしたいんですよ。「よかったね〜」って思える人間でありたい。
だってその相手は自分よりも優れた状況にいるけど、自分だって不当に扱われているわけではなかったりするので。自分が1で相手が10だったときに「よかったね〜」って思えるようにありたいのです。
x<0は不適当
でもこれってめちゃめちゃ線引きが難しい問題だとも思っていて。例えばさっきぼくは「自分が1で相手が10なら許したい」って言ったんですけど、「自分がマイナス10で相手が10」なら怒ってもいいと思う。
要は、自分が不当な扱いであったり、誤った対応を受けているんだとしたら、それって「ズルい」とかじゃなくて「不正」じゃないですかってこと。
ただこの場合って矢印の向きに気をつけなきゃいけなくて、「相手の10」じゃなくて「自分のマイナス10」を解決するべきだとぼくは思うんです。
それを解決するために何をすべきかっていうのは状況をよって様々だと思うけど、相手が10を持っていることに対して「アイツもマイナス10にしろ!」ってのは違うと思うんだ。
このときに自分のマイナス10を解決するために動くのは迷惑なことでもなんでもないと思う。だってそれは正しくないものに対して声を上げる行為なので。
何が正義で何が悪とか、そういう話はそれだけで1日分の日記が書けちゃうからここではしないけど、0がノーマルなんだとしたら、それ未満の扱いを受けることはあってはならないと思うし、それに対して抱く「ズルい」は「不当だ」って表現の方が適切だと思う。
ただ自分が0以上のときに、他者がそれ以上大きな数字を持っていることに関しては寛容でいたいなって、そういうお話でした今日は。
まぁぼくは日記書いてない全員に対して「ズルい」って思ってるけどな。日記はマイナスなので。